専門家コラム

【021】水素エネルギーの過去・現在・未来

森田 敬愛

水素エネルギーの過去・現在・未来

「水素エネルギー」と一口に言っても様々な形態があるが、ここでは私が関わってきた燃料電池の話を中心に、自分がどの様に燃料電池に関わり、燃料電池開発がどの様に変遷してきたか、今後水素エネルギーがどうあるべきか、などについて私見を述べてみたい。

大学時代に所属していた研究室での触媒の研究を通じて、触媒が石油化学工業や環境浄化等に密接に関わっていることを学んだ。その様な環境の中で、「有限の資源はいずれ枯渇する。石油をただ燃やして発電に使うのは何とももったいない。石油は人類に有用な物質合成に利用していくべきである。石油に代わるエネルギー、特にクリーンなエネルギー開発に携わっていきたい」と学生時代に考えていた。

最初に就職した会社は、基本的に工業用ガスなどの製造・販売をしている地方の会社であったが、なぜか太陽電池の研究開発を行っていた。将来の化石燃料枯渇を見据えて、将来の水素エネルギー社会を目指すには水から水素を作るべきであり、そのエネルギー源は太陽光に求めるべきだ、という考えの下で太陽電池の研究開発が始まったらしい。
その理念に非常に感銘を受け、そこで仕事をしたいと思い入社したのであったが、残念ながら全くの異分野に配属となった。不満に思いながらも仕事を続けて2年ほど経った頃、ある外資系の会社が日本に技術拠点を作るにあたって大々的に中途採用を行うという記事を見つけた。主力業務の他に「燃料電池触媒」の部署も若干名採用するということで、思い切って応募したところ運良く採用された。1993年の事である。

このように水素エネルギーそして燃料電池に関わる事になった。最初の仕事は、一番実用化に近い第1世代といわれていた「りん酸形燃料電池」用の電極触媒の開発である。燃料電池についての詳細については割愛するが、身の周りの一次・二次電池の様に内部にエネルギーを蓄積しているわけではなく、水素を燃料として発電を行う「発電装置」と捉えるべきであろう。水の電気分解の逆反応で、水素と酸素の電気化学的反応により電気を取り出している。この電気化学反応を効率よく進めるために、白金(Pt)をベースとした「触媒」が使われている。

当時の日本国内では、りん酸形燃料電池プラントを開発していた会社が複数あり、コストダウンをしつつ耐久性を上げるために、各社とも大変な努力を続けていた時代である。ここに燃料電池の心臓部ともいえる電極に使われる触媒を開発し、国内プラントメーカーに採用してもらうというのが自分の仕事であった。ちなみにりん酸形燃料電池プラントは、MW級の分散型電源用や50kW~200kW規模のオンサイト型の導入が進んでいた。特にオンサイト型は、発電と同時に排熱を冷暖房に利用でき、総合エネルギー効率が80%以上のコジェネレーションシステムとして注目されていた。また、燃料として都市ガスを改質して水素を取り出す以外に、汚泥やバイオマス由来の消化ガス(メタン)を燃料として利用するプラントもあり、エネルギー資源の有効利用という観点からも注目されていた。
当時は「水素エネルギーに関わっているのだ」という充実感で一杯であり、まだ若かったこともあり、仕事の忙しさは全く苦にならなかった。多くの技術的課題はあったが、少しずつ触媒の改良・改善を進めていき、開発した触媒が某メーカーのプラントに採用が決まった時は本当にうれしかった。

りん酸形燃料電池の市場がこれからもっと伸びていくだろうと期待していたのだが、90年代前半といえば、カナダのBallard社が水素イオン交換膜を使った「固体高分子形燃料電池」を搭載したバスを実際に走らせ、それに続き欧州の自動車メーカーが燃料電池車を発表し始めた頃でもあった。
これに多くの人の関心が一気に固体高分子形燃料電池に向いたのである。日本国内では、りん酸形燃料電池の商用化を進めようと、国のプロジェクトでも予算を使っていたのだが、この頃からりん酸形への予算が減り初め、固体高分子形への予算が少しずつ増えていった。固体高分子形の製造コストはまだ非常に高かったが、りん酸形の電解質であるりん酸に比べて固体高分子膜は取り扱い易いということもあり、非常に多くの人達が開発に参入してきたように思う。

この動きは加速していき、りん酸形燃料電池メーカーは徐々に撤退していった。現在、日本のメーカーとしては1社だけが年に数台程度の製造を続けているという状況である。プラント寿命については、目標の4万時間を大きく超える6万時間超のプラントも複数出てきており、信頼性は十分に得られているだけに、りん酸形燃料電池が下火になってしまったのは大変残念である。ホテル・商業ビル・病院・集合住宅用などのオンサイト型コジェネシステムとして、再び光を当ててもいいのではと個人的には思っている。
固体高分子形燃料電池にもPt系触媒は使われるので、自分の仕事は大きく変わることは無かったが、社内的な事情により一時期海外(英国1年半、米国9ヶ月)で仕事をすることとなった。話はそれるが、長期で海外勤務するのが初めてだったので大変なことは多かったが、今となっては本当に貴重な経験ができたと思っている。最近の若い世代はあまり海外へ行きたがらないという話も聞くが、チャンスがあれば一度は日本国外へ出て見聞を広げてほしいと強く思う。

2005年に転機があり、12年程勤めた外資系企業から国内のメーカーへ転職することとなった。引き続き2年半ほどは燃料電池用の触媒開発を続けていたが、その後異動となり電解用電極の開発などに従事した。燃料電池の仕事から離れてかなり時間が経ったが、家庭用燃料電池や燃料電池自動車などが最近よく話題に上るようになり、よくここまで技術開発が進んだものだと思う。コストや水素インフラの問題など、解決すべき課題はまだまだ山積であるが、水素を利用する側の技術は相当に進化したのは確かである。

それでは水素を作る側の技術はどうであろうか。二次エネルギーである水素は、何かをエネルギー源として製造する必要がある。現在は大部分が石油や天然ガスなどの化石燃料由来である。究極の水素源は「水」である。水から水素を製造する技術はいろいろとあるが、今のところ一番現実的な方法は水の電気分解であろう。もちろん、その電源が化石燃料由来の電力であっては全く意味がない。持続可能性を考えると、再生可能エネルギーをベースとした電力が望ましい。

温室効果ガスである二酸化炭素の排出を減らすための方策として、太陽光・風力などの再生可能エネルギーの導入が進んで来ているが、全発電量に占める割合はまだわずかである。2011年の東北大震災以降、原子力発電はしばらくの間停止していたが、最近になり再稼働するプラントが出てきた。二酸化炭素を排出しない電源として原子力発電を有力視する人たちもいるが、原子力発電をこれからも続けることが本当に将来の世代のためになるのだろうか。
福島第一原発の事故で、日本人は一体何を学んだのだろうか。そして日本の技術者たちはこの事故から一体何を学んだのだろうか。放射性廃棄物の処理をどうするかも決まらず先送りにした結果が、今の我々が生きている時代の状況である。

二酸化炭素の排出を削減するために、化石燃料の使用を減らしていく方向はこれからも続いていくであろう。これは化石燃料の枯渇をできるだけ遅らせ、貴重な資源を先の世代へと受け渡していくという観点からも望ましい方向である。その具体的な方法として、再生可能エネルギーに基づいた社会を築いていくべきである。原子力発電に投じている人・物・金を再生可能エネルギーに振り向けていくことで、再生可能エネルギー開発はもっと高度に進んでいくと考える。その中で、水素エネルギーの位置付けは重要になってくるであろう。

我々はいったいどのようなエネルギー社会を作り上げていくべきなのか、そしてどの様なエネルギー技術をこれから先の世代に残していくべきなのか、人類はどう生き延びていくべきなのか、我々世代の哲学が問われているのではないだろうか。21世紀の技術者が開発した水素エネルギー技術が、ずっと先の世代の人類に感謝されるようなものになる事を期待している。そこに私も微力ながら貢献していきたいと思う。

2015年11月24日

著者:森田 敬愛(もりた たかなり)
出身企業:田中貴金属工業株式会社
略歴:株式会社ほくさん(現エア・ウォーター株式会社)、ジョンソン・マッセイ・ジャパン株式会社(現ジョンソン・マッセイ・ジャパン合同会社)、田中貴金属工業株式会社
専門分野:燃料電池、電極触媒、固体触媒、電気化学、機器分析、ゾルゲルセラミックス
資格:技術士(化学部門)、危険物取扱者(甲種)
所属団体:日本技術士会、日本化学会、触媒学会
趣味:バンド活動(ビートルズ)、写真(全日本写真連盟会員)



*コラムの内容は専門家個人の意見であり、IBLCとしての見解ではありません

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