Idea Bank Liaison Company

 株式会社 IBLC

No.【016】個人カルテシステム構築の意義と技術課題

No.【016】個人カルテシステム構築の意義と技術課題

中根 堯

医療費抑制対策としての「電子カルテシステム」と「健康手帳」

平成25年度の医療費総額は約39兆円で、同年度の一般会計予算95.9兆円の1割強に及ぶ約11兆円が国費負担分(さらに別途約5兆円が地方負担分)として支出されている。このように我が国の医療費は、少子高齢化の進捗とともにGDP増加率を上回る年率数%の割合で一貫して増加しつつあり、国民経済の視点からは、その抑制が急務の課題となっている。
そこで厚生労働省は、医療費抑制策の一環として、医療機関や医師に対しては「電子カルテシステム」の構築とその統合化に向けた政策を、市町村等の自治体に対しては住民の地域医療受診時や健康の自己管理等に資する「健康手帳」を普及させる政策を各々推進している。このうち「電子カルテシステム」に関しては、同省が当初意図していたようなその統合化を云々できる段階にはまだほど遠いが、周知のように最近では個々の医療機関においてはかなり普及してきており、少なくとも当該医療機関の医療業務と事務処理の効率化には大きく貢献している。

また、調剤薬局の提供により近年急速に普及しつつある「お薬手帳」の医療版とも言える「健康手帳」に関しては、住民健診の結果や医師の病状説明書、予防注射歴・治療歴・投薬歴・検査データ等を記入あるいは添付する形式の健康(管理)手帳を住民に配布する自治体が増えており、地域医療の場などで各々有効に利用されている。しかし、取扱うデータの種類・内容・範囲とその取り込みの具体的方法や、手帳の形態・形式等が発行する自治体により各々大きく異なっており、現状では地域を超えてその統合化・システム化を図ることは相当困難と思われる。

 両機能を統合した「個人カルテシステム」の構築とその制度的な問題

もしこのような「電子カルテ」と「健康手帳」の両機能を統合させた「個人カルテシステム(仮称)」を開発・構築し、地域限定ではない全国的なシステムとして実現できたなら、その技術的な波及効果は単に医療分野に止まらず、セキュリティ対策など我が国が弱い情報管理技術の確立から医療・健康に関する根源的なビッグデータの構築まで極めて広範に及び、また検査・投薬等の重複回避による医療費削減や、検査・診療データ等の共有化によるホームドクター制度の促進、在宅医療・訪問看護等の地域医療の効率的推進など、社会的にも大きな効果が期待できる。

因みに、電子化された医療カルテ統合化の必要性とその意義は、行政や医療関係者の間では広く認識されており、すでに多くの地域・グループ等でその試みがなされている。しかし、現在に至るまでその試みは何れも成功していない。その主な理由は、(1)有力ソフトがいくつか並列普及しており、その集約・統合化が現実にはかなり困難なこと、(2)現行カルテは医師個人が作成しその所有権は所属医療機関にあるため、誤診の証拠ともなるその内容の詳細開示には関係者の抵抗が大きいこと、(3)カルテを作成する医療機関の方針・様式や作成医師の意識・能力等によりそのレベル・内容が大幅に異なり、統合化してもそのメリットが十分に期待できないことなどである。

このような壁をブレークスルーするためには、医療機関が作成・所有する現行電子カルテの統合化から進む従来の方法ではなく、全く新しい別のアプローチが必要と考えられる。そこで医療・健康等に関する各種データは、基本的には検査・診療した医療機関ではなく、その費用負担者である患者本人と自治体や健康保険組合等に帰属すべきものと考え、作成主体を医療サービスの提供者ではなく受けた側とする「個人カルテ」の構築から進む新しいアプローチ方法を提案したい。少なくともこの方が、既往の方法より障害は少なく実現性が高いと思われる。

しかし、検査データの扱いや、治療歴に関係する治療方法と投薬等に関する事項については、基本的には法的に規定された医師作成のカルテに関連するため、所管官庁による法的・行政的な環境整備が必要で、その推進には関係省庁の関与が必要不可欠と思われる。また、治療歴に関しては、医師作成の現行治療カルテのようにその方法・内容等についての詳細な記載は必ずしも必要ではなく、類型化した簡潔な記載で十分かと考えられるが、その具体化に際しても公的な場での議論と決定が必要と思われる。この場合、詳細な治療カルテは従来通り治療実施機関が保管し、必要が生じた場合に、当該医療機関の間でその医療情報を直接連絡する等の形態が想定される。

「個人カルテシステム」構築の意義とその技術的な課題

「個人カルテシステム」に収納する医療関連データとしては、歯科を含む病歴、診療歴、投薬歴、予防注射歴、アレルギーや血液検査などの各種生理学的データや、自治体・学校・職場等での健診データ、X線・MRI・CT等精密検査データなどが一応想定されるが、将来的には免疫力指標やDNAデータ等も想定される。これら収納データのうち、治療歴・投薬歴や検査データなど主要データの一部をICカード等に取り込み、個人保有が可能な形の“マイカルテ(仮称)”を別途作成すれば、既往の「健康手帳」以上に高度な機能を保持させることが可能となる。

また、このような「個人カルテシステム」は、適切な方法でその住所・氏名等の個人情報部分を削除してデータを一般化することにより、医療・健康分野における根源的なビッグデータとすることができ、医療・医薬品の効果の直接評価や新薬創生の必要分野抽出など、医療・行政・産業界等多くの分野で多面的活用が可能となり、その技術的・経済的意義は極めて大きい。さらに、東日本大地震で経験したような医療カルテ喪失事態等における医療・投薬データの重要なバックアップシステムとしても極めて有効で、C型肝炎の国家補償時にも顕在化した学校・職場等の予防注射歴喪失の事態にも対応できるなど、災害対策等の面からも極めて大きな意義がある。
なお、このような「個人カルテシステム」の構築に際しては、全国展開を視野に入れた広域普及とビッグデータ化への展開等を最初から十分考慮して計画的に進めることが肝要で、その普及性と拡張性等に最も留意する必要がある。また、個人情報として最たる医療・健康データを直接扱う情報システムであるから、その漏洩防止を図るセキュリティ対策が最も重要な技術課題となる。しかし、我が国はハード絡みのICT技術は十分高いレベルにあるが、サイバー対策のような情報管理に関しては十分高い技術レベルにあるとは言い難く、少なくとも本件に関しては、この技術分野におけるレベルアップが必要不可欠である。

マイナンバー制度との連動の可能性

最近の新聞報道によれば、政府は来年1月から始まる所得等把握目的の「マイナンバー」制度とシステム的に連動させる形で“医療ナンバー”を別途設定するなどし、ビッグデータ化等を視野に入れた個人の医療・健康情報を扱う新しいシステムの構築を内閣府等で検討予定とのことである。とすれば、上述のような「個人カルテシステム」に類するシステムの開発と構築が、正に政府レベルで検討される可能性が高く、極めて高度な情報管理技術を具体的に開発できる絶好の機会が得られるものと考えられる。その成果は、当然「マイナンバー」制度にも反映されよう。

既述のように、現行の電子カルテシステムと健康手帳の両機能を併せもつ「個人カルテシステム」案は、情報管理に関する技術課題や医療関連分野の制度的問題など解決すべき課題は多いものの、我が国の医療問題に対する有力な解決策の一つと考えられるため、その実現に向けた取り組みが今後関係者間で具体的に検討されるようになることを強く期待したい。

2015年5月27日

著者:中根 堯(なかね たかし)
出身企業:物質工学工業技術研究所(現 産業技術総合研究所)
略歴:工業技術院物質工学工業技術研究所 化学システム部 総括研究室長、東京理科大学 総合研究機構教授、(株)物産 ナノテク研究所 取締役研究所長、三菱化学(株)イオン交換樹脂事業部 技術アドバイザー、産業技術総合研究所 招聘客員研究員、(一般社団法人)宮古島新産業推進機構理事
専門分野:膜分離技術、水処理技術、工業物理化学、燃料用バイオエタノールの製造・利用技術

*コラムの内容は専門家個人の意見であり、IBLCとしての見解ではありません

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