専門家コラム

【002】元気な日本企業を再び!

笠原 二郎

産業のガラパゴス化

岩場に巨体を横たえるトドの如く、態勢を入れ換える事さえ出来ないでいる。かつては、世界のスタープレイヤーであった、日本の少なくない大企業の今である。トドは、絶滅危惧種には類別されていないが、日本の大企業には、絶滅危惧種に類別されてもおかしくないものもある。筆者が嘗て身を置いた会社もご多分に漏れず、エレクトロニクス産業には、残念ながら絶滅危惧種扱いを免れない会社は多い。此処に至る要因は、一体何であるのかを振り返りつつ、日本が産業のガラパゴス島にならないために、何を思い、どう行動して行くべきか考察を試みてみる。

要約的に結論を言ってしまえば、“リスクを取らない”、“誰も責任を取らない”文化の蔓延である。踏み込んだ議論は後述するが、多くの大手日本企業の文化は、石橋を叩いて渡るどころか、石橋を壊れるまで叩いても渡らないのである。太平洋戦争後に勃興し、世界ブランドにのし上がった花形企業は、リスクを取り、日本復興の為に挑戦した。経営者がオーナーであったので、しっかり責任をとる、取らざるを得ない体制でもあったのだ。ところが、昨今の大手企業はどうか。川の対岸に人影が見えると初めて、恐る恐る向こう岸に渡ってみるのである。ところが、渡り終えた時には、既に多くの競争相手が凌ぎを削っており、厳しい競争に晒される事を余儀なくされる。世界はグローバル化し、実は、対岸に渡る橋は一本だけではなく他にもあり、こちらが躊躇しているうちに、別の橋から多くの競争相手が新天地に拠点を構えていたのである。

日本の産業は、では、絶滅危惧種化してしまうのか? そんなことはない、と筆者は信じたい、否、信じている。日本は、技術立国として、世界に勇躍していた。日本製半導体メモリが世界中の市場を席巻し、ある首都圏首長が、「我が日本の技術は不滅です」と言ったかどうかは定かでないが、技術の日本を誇らしげに語って憚らなかった時期である。その半導体産業では、残念ながら他国企業の後塵を拝している現状ではあるが、日本の技術開発は、まだまだ世界のトップクラスである事は、多くが認める所ではないだろうか。もしかしたら放り出された儘の沢山の煌めく技術革新の種を、しっかり見極め、育て、そして産業化する事が出来れば、ガラパゴスではなく、黄金の国ジパングの再来もあながち夢ではあるまい。とは言え、どんなに煌めく原石を持っていても、磨き方を間違えれば、武士の商法になってしまう。世界は、ダイナミックに変化している。これまでの遣り方を、大胆に変える英断が必要である。付加価値創造と言う観点、つまり、バリューチェーンの構造をしっかり俯瞰し、ビジネス開発の遣り方を変えて行かねばならない。素材や部品メーカーには、厳しい変化の側面もあろうが、何某かの一歩を踏み出さなければ、本当に絶滅危惧種になってしまう恐れがある。

衰えたとはいえ、日本のGDPは、まだまだ世界第三位である。技術イノベーション立国こそが、日本の進む道である。企業経営陣の果敢なリスクへの挑戦こそが、日本産業ガラパゴス化を粉砕する良薬である。

何故リスクを取らなくなったか

「欧米に追付き、追越せ」掛け声のもと、高度成長期を邁進してきた日本の産業。
斯く言う筆者も、その真只中に居た。半導体産業では、ムーアの法則に則り開発を進めて行く目標が明確であった。どの企業も、リスクを感じることなく開発競争に投資する事が出来た。ゴールまでには、障害物が沢山あり、この障害物競走に勝利するにも、沢山の技術革新が必要とされ、日本はそのレースに勝利したのである。日本の技術者は、与えられた課題に対する解決には非常に優秀であった。与えられた問題に解答する日本型入試で鍛えられた秀才達が、見事に対応してきたと言って良い。ところが、ゴールに到達してしまったら、次はどの競技に参加したら良いのか、どのレースの賞金が高いのか判らなくなってしまった。自ら課題を設定する、つまり、自らイノベーションを創成する訓練を充分に受けてこなかったのである。自分が考えるイノベーションらしきものが、本当に社会に受け入れられるのか自信が持てないのである。一度失敗すると、次に再起する事が難しい日本の文化、出る杭は打ち、足を引っ張り、隣と同じか一寸だけ前に居る事で安心する横並び一線の文化が、優秀な人材の画期的なアイデアを埋没させて居るのかも知れない。日本の産業、大企業では、これまでの資金や技術の蓄積で、まだ何とか現業を継続できている。そこのメンバーは、そこそこ良い仕事をしていれば、それなりに出世も出来る。何も、会社の方針や上司に反抗してまでして、自分の考えを押し通すリスクを冒す必要はない。

90年代になると、米国式会社経営の導入が進んだ。これが、日本の会社経営に馴染んだかどうかを、功罪付けるのは難しい。しかし、それまでは、経営陣も社員も同じ船に乗込んだ一蓮托生の思いであった雰囲気が、明らかに、株主還元第一主義に変わった空気を、肌で感じる事ができた。経営トップ層は、金銭的に出した利益額で評価される事に汲々とした。勿論、会社は営利団体であるのだから、どれだけ利益を上げたかは重要な評価因子である事を、全く否定するものではない。とは言え、組織/会社の持続可能性に目を向けるならば、お金では量る事の出来ない評価因子もあって然るべきと考える。これが、難しい。更に後述するが、筆者が身を置いた会社の様に、オーナー社長が壮健な間は良いが、これが雇われ社長になると、多くの場合は、利益額至上主義となり、短期決戦型経営となる。自然である。誰も、自分が社長の時が、史上最低の利益しか上げなかったとは言われたくない。従って、10年先の訳のわからない所に投資をするリスクは取られる事がない。社外取締役制度。企業のガバナンスチェックの意味では、良い仕組みと考える。しかし、影響力が肥大化してきたら、問題である。企業の行く末を考え、決めるのは、経営陣も含めた意味で、社員/当事者で有るべきと考える。内部の人間のみが持つDNAが、その企業のアイデンティティだからである。詳細は他に譲るが、グローバル社会で生き抜くには、個人も組織も、アイデンティティを持つ事重要である。取締役会のご機嫌を窺って居るばかりでは、企業の方針を決める事ですら、リスクと成ってしまうのか。

決断のスピード

一日24時間、地球上の何処かは、必ず昼間である。インターネットその他のコミュニケーション手段により、いつでも瞬時に、世界中何処からでも何処とでも、コミュニケーションが可能になった。地球は不夜城と化したのである。社会の変化のスピードは、格段に増している。筆者は、短期間ではあるが、欧州のベンチャー企業に籍を置いた事がある。そこで第一に感じた事は、デシジョンのスピードであった。勿論、ベンチャー企業である事は差しい引いても、である。マイクロソフト、アップルもベンチャー企業からの始まりであったことは衆知である。そして、幸か不幸かは別にして、少なくとも社会の潮流の表層に於いては、上記ビッグ2に始まるICTの変化スピードが、社会の変化を支配していると言える。残念ながら、殆どの日本企業は、この潮流に乗りきれていない。

その理由は、二つある。一つ目は、意志決定(Decision making)のスピード感の無さである。合議制と言う、一見民主的意思決機構と、稟議機構が、決断までの時間を決定的に引き延ばしている。それでも、合議制により、残念ながら平均的結論になったとしても、結論が出る場合は良い。延々と会議を催し、結局、保留(pending)に成る場合も少なくないのが実情ではなかろうか。成長期の日本でも、かつてカリスマ経営者、或いはオーナー経営者が統治していた時代は、ベンチャー企業宜しく、これも良いか悪いかの判断は、その後のそれ等企業の歴史を見て頂くしかないが、カリスマ経営者の決断が、スピード感を持って為された時代であった。その決断は、時には大きなリスクを伴うものであったろう、と想像に難くない。ソニーが、弱小企業でありながら、トランジスタの特許を取得した例などである。当時は、トランジスタは、海の物とも山の物とも知れない、いかがわしい技術とみられていた事だろう。それでも、トランジスタに将来性を視た、経営陣の一種の閃きとリスクを取る決断に、多大なる敬意を表したい。当時、現在のLSI全盛の世界を想像できた人が、世界中に一人でも居たのだろうか。勿論、対岸に人の気配があったとは、とても思えない。そこに架かる橋も、石橋どころではない。きっと、危なっかしい吊り橋位であったに違いない。合議制のシステムでは、決して為し得なかった決断であろう。

合議制とは、誰も責任を取らないシステムである。もし、吊り綱が切れたら、決断者は当然責任を取らねばならない。企業から報酬を頂いている雇われ経営者なら、日本では間違いなく、その時点で退任であろう。一日でも長く、名誉も地位も、そして高額報酬もあるポジションに留まりたいのは人情である。イノベーションを起こすにはリスクが伴う事、異論の余地はなかろう。ベンチャー企業は、ベンチャー企業であるが故に、リスクも覚悟の上で、イノベーション創成に舵を切る素早い決断が可能なのである。失敗したら、潰れるかも知れないが、挑戦しなければベンチャーでの成功も覚束ない。いずれガラパゴス化しそうな企業にあって、ベンチャー企業とそっくり同じ経営スタイルを取れば良いとは言わない。だが、新機軸を画策したい大企業にあっても、ベンチャー企業家のもつリスクテイクの気概は持ってほしいものである。

変化への対応

世の中の潮流に乗りきれない、もう一つの理由は、変化に対応する勇気ある決断ができないことにある。これまで成功してきた企業程、大きな慣性力により、従来と違った遣り方や方向への転換が難しい。昨今よく言われることに、“モノ”から“コト”への変化、がある。先進諸国では、物質的には既に十分満たされた状態にあり、“モノ”を所有する事自体への価値が相対的に減少し、そこに多くの対価を費やす必然性が見いだせない。直近の例では、スマートフォンやタブレットPCに見られる様に、それ、つまり“モノ”でどんな面白い“コト”が出来るかに対して、対価を支払ってくれるのである。しかるに、“モノ”作りを得意としてきた日本の産業は、バリューチェーンの中で、“コト”を売る産業の、言い方は悪いが、下請けとなってしまうのである。“モノ”の提供を生業とする、材料・素材メーカー、部品メーカー、更には、最終商品を提供する機器メーカーまでもが、“コト”を生業とする企業の僕に成り下がりそうな流れになりつつある。とは言え、“コト”は、“モノ”の上に載って初めてヒトに伝わる。“モノ”と言うプラットフォーム無しには、“コト”は始まらないのである。フランス料理は、ソースが命と言われる。フランス料理に例えるなら、さしずめ“モノ”は食材、“コト”はソース(=アプリケーションソフト)に譬えられるかも知れない。ソースが決めてで、ミシュラン三ツ星、それなりの対価を支払うかも知れない。しかし、食材だけを食べる人は居るが、ソースだけ食べる人と言うのは、あまり聞かない。真の“コト=美味しい高級フランス料理”は、“モノ”と相俟って、顧客価値を創造して居ると言える。

それでも、“モノ”から“コト”への変化は、文明発展の過去を振り返って見ても、ごく自然な事である。どんなに“モノ”が重要だと繰り返したところで、流れは変わらない。素材メーカーや部品メーカーは、自らが変わるほかにないのである。“コト”を提供する産業の隆盛は、これからも、暫くは続く。そこに、“コト” に新たな価値を付加する“モノ”が提供出来たら、バリューチェーン上での“モノ”の位置づけも変わるのである。Googleが、コンタクトレンズ型センサを発表したのは、そんな流れの一環とみる。“モノ”が、そのまま“コト”である場合もある。例えば、高級ブランドの時計である。時計は、元来、正確な時を知らせてくれる道具である。電波時計の方が、高級機械式時計より、きっとより正確な時を告げてくれるであろう。しかし、顧客は、何百万円もするブランド物の機械時計に触手を伸ばすのである。“モノ”自体が、ステータスと言う“コト”を提供しているのである。

“モノ”に対する見方を変えてみると、違った世界が見えて来るかも知れない。我が国の優良企業も、長年培ってきたビジネススタイルとは異なるスタイルや事業領域の方向への、小さくても良いから一歩を踏み出す事で、会社の持続可能性を高める事が出来るのではないだろうか。欧米企業では、これを、M&Aと言う手法で実現している例もある。GEなどは、その例であろう。欧米をその儘まねる必要はない。日本式経営スタイルにも、良い面が沢山ある。株主価値優先の企業経営で、ややもすると近視眼的利益追求型に陥ってしまった傾向が無きにしも非ずである。長期的視野の経営には、永久就職型日本式経営にも、一理ありそうである。

アイデンティティ

アイデンティティを、ここでは“らしさ”と定義付ける。トヨタもソニーもホンダも、それが何かを表現するのは難しいが、名前を聞いただけで感じるものがある。“らしさ”を感じられる。そうやって、世界の優良企業としての、ブランド価値を創造してきた。経営者も、そこに働く技術者も、敢えて意識するではないが、“らしさ”の仕事をしてきた。これが、企業DNAと呼ばれているものである。日本には、謙譲の美徳と言う素晴らしい文化がある。日本人が日本国内で生きて行くのなら、何の問題もない。しかし、ビジネスの世界もグローバル化した。異なる文化の人達と交わる事が、必然となった。日本では、余り好ましい態度と受け止められないが、グローバル社会では、自己主張しなければ埋没してしまう。しかるに、アイデンティティを持つ事が必定なのである。

社外取締役制度が、ここに楔を打ち込んできた。偏った視野、井の中の蛙に陥りがちな企業人に、異なる視点からの議論を喚起してきた。変化への対応を促すポジティブな側面は重要である。一方で、アイデンティティを忘れた企業統治に陥る、ネガティブな側面も併せ持っている。生抜きの社内取締役は、生抜きであればこその“らしさ”のDNAを持っている。企業“らしさ”は、社外取締役には持ちえない資質なのである。短期利益追求で株主価値至上主義に陥ると、同じDNAを持っていない社外取締役には当然の事として、“らしさ”を忘れて結論が下される事になる。そして、次第にアイデンティティが失われ、グローバルビジネスでの生き残りを難しくする。社外からの意見は、時として大変重要である。本来は、これ等を貴重な意見として考慮しつつ、社内人が信念を持って、進むべき道を決めて行くべきである。社外からの有識者の多い取締役会におもねていては、道を誤る危険性大である。

話は少し逸れるが、コンサルタントへの相談も同様と考える。社内人とは異なる視点での、貴重な提案が為される事しばしばであろう。それでも、当然のことであるが、提案を鵜呑みにするのではなく、最終決断は自ら為すべきものである。コンサルタントの提案を、参考にしようが反面教師にしようが、である。グローバル・ニッチトップと呼ばれる企業も、オンリーワンの技術を持っていると同時に、アイデンティティを持っているに違いない。ブランド価値とは、カスタマーが、そのブランドに“らしさ”を感じて貰えるが故に存在し得るものである。多様化する市場へ変化して行ったとしても、参入商品や市場が変遷するにしても、アイデンティティ、“らしさ”は、何ら変わるものではない。

では、どうすればよいか

では、ガラパゴス化を食い止める施策はあるのか。愚問である。世の中の景気動向につれ、多少の浮き沈みの波はあるだろうが、放っておけば、間違いなく国際競争力を失い、ガラパゴス化する。施策が有るかと問うのでは、まるで他人事。当事者意識を持って、自らどうすればよいか考えなければ駄目である。素材メーカーが、いきなりICT分野に参入するのは、現実的ではない。リスクを取れ、と言ってもどのリスクを取れば良いのか判らない、云々。至極尤もな疑問である。そこで、今一度、ビジネスの原点に立ち返り、謙虚に考えてみよう。我が国の産業の現状は、欧米諸国に留まらず、アジアの新興国にも、ビジネスに対する姿勢で後れを取っている面を否めない。周回遅れを取り戻し、先頭集団に追付き追い越せ。時代背景の違いこそあれ、戦後復興期のスピリットに、学ぶところもあるのではないだろうか。

日本は、少なくとも物質的には、地球上で屈指の豊かな国である。戦争も無く、平和な国である。なにもあくせくせずとも、此処暫くは、安穏に暮らせるだけの力は保持しているだろう。ここに、“平和ボケ”がある。豊かさの指標が変わって居る事を、否定はしない。それでは、50年後はどうか?Nobody knows.である。孫子(まごこ)の為に、と言われるが、今、日本を引っ張っている年代の人達には、将来に禍根を残さない責任がある。先に、アイデンティティの話をした。世界がグローバル化、ボーダーレス化するとは言え、国家アイデンティティを持たなければ、国家として生き残れない。人類文明が始まり、少なくとも4000年の歴史のなかで、国家と言うアイデンティティは、常に存在してきた。次の50年、100年で、そんな歴史がひっくり返るとは、極めて考えにくい。

横道に逸れて来たので、話を戻そう。原点に立ち返って、日本の産業を見つめ直してみる。グローバル化、技術の進化により、文明は急速に多様化している。社会のニーズも多様化、科学技術も多様化、文化もしかり。ビジネスも、多様化に対応して行かなければ、取り残される、つまりガラパゴス化して行く。価値観の多様化も相俟って、市場のニーズに応えること、一企業だけでは覚束ない。そこで、複数企業が手を組み、市場ニーズに応える“エコシステム”が進展している。一人勝ちのシナリオからの脱却である。本来、横並び大好きな日本人が、世界に先駆けて実践しても良いビジネスモデルではなかろうか。バリューチェーンの美味しいところ取りも結構である。しかし、バリューチェーンがバーチカルに連携したら、更に大きな市場が拓け、結果として良いとこ取りを越えたビジネスの可能性は大である。

今一つの視点は、スピンオフベンチャーの勧めである。欧米では、20年近く前から、既にしばしば見られる光景である。石橋を叩いても渡らない経営からの脱却である。将来有望になりそうなビジネスシーズだが、一企業で取組むには、リスクが大きい場合には有効である。競合、或いは異業種のメーカー同志で資本を出し合い、将来への布石を打つ手法である。メンバー企業からの、開発チームを統合する。資金だけ提供するメンバーも歓迎である。こうすることで、トータルの開発パワーを大きく減じることなく、少ない投資で、大きなリスクを分散させることが出来る。旨く立上れば、将来、グローバルな優位も確保し、大きな果実を味わう事も可能となる。一人勝ちの夢を見て、一人負けしているよりずっとましではなかろうか。

ガラパゴス化阻止へ向けた、一個人の思索を述べて来た。他にも、技術立国日本再生に向けた施策はあるだろう。今の危機感を、次のステップへの力として欲しい。危機感こそが、飛躍へのばねである。大学、公立研究機関、さらには私企業の研究開発部門、日本には、まだまだ沢山の磨き甲斐のある原石が沢山ある。ガラパゴスではなく、ジパングへ向かう道を選択するかどうかは、今の時代を牽引している指導層のリスクテイクと決断に掛かっていること間違いない。

2014年9月17日

著者:笠原 二郎
出身企業:ソニー株式会社
略歴:融合領域研究所長、システムLSI事業部門長、北海道大学 特任教授、Thin Film Electronics, Japan 代表取締役兼本社VP/Technical Advisory Board
専門分野:半導体全般、有機/印刷エレクトロニクス、電子デバイス、研究開発マネージメント



*コラムの内容は専門家個人の意見であり、IBLCとしての見解ではありません

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